山田太一

山田太一(20231222日)

 1129日に脚本家の山田太一さんが83歳で亡くなりました。今回は、537件ある山田さん本人の発言記事の中から40件を選んで紹介します。

(インタビュー記事8件、様々な著名人との対談・座談記事20件、好きな本や映画についての記事3件、家族についての記事9件の計40件)

 山田さんは中学時代の国語教師を通して文学に出会い、大学卒業後は教師をしながら小説を書いていこうと思っていたところ、日を間違えて教員採用試験を受けることができませんでした。そこで慌てて就職先を探して松竹に入社したという経緯があるそうです。松竹で助監督を務めた木下恵介監督のテレビ作品の演出を手伝っているうちに、テレビドラマの脚本を手がけるようになりました。

 山田さんが初めて自分の好きなように書いたという1973年の連続ドラマ『それぞれの秋』では、その当時の主流だった「家族みんなが和気あいあい、ほのぼのとした」ホームドラマと異なり、登場人物の悩みや孤独、家族に見せない別の顔も描いています。『キネマ旬報』2012121日号のインタビューでは「ぼくも『ほのぼのとした』ドラマはそれまでに書いていたので、ここは一番、見て楽しい現実ドラマを書こうと思って。1つの壁を越えるような意欲がありました」、『アサヒ芸能』2013328日号でも「もともと僕は、当たり筋ではないものをやりたい。皆が書いてないところに本当があるかもしれない。そこが基本姿勢なんです」と語っています。

 20171月に脳出血で倒れてからは作品を発表することがありませんでしたが、その年の『週刊ポスト』91日号に山田さんのインタビュー記事が掲載されています。“良いことも悪いことも引き受けて、自分が受け入れた限界の中でどう生きていくかが大切”ということを語り、「もう脚本家として原稿が書ける状態ではありませんが、後悔はしていません。これが僕の限界なんです」と話す顔には笑いが満ちていた、という記述がありました。

※今回紹介した索引の雑誌記事コピーをご希望の場合は、遠隔地の方でも資料配送サービスで取り寄せることが出来ます。どうぞご利用下さい。


 

インタビュー 8件

1.
記事種類
インタビュー
タイトル
テレビドラマをつくる 物語の生まれる場所 物語のつくり方 脚本家に聞く 山田太一 時代とともに移り変わる、真実をドラマに描くこと ※『時は立ちどまらない』『五年目のひとり』他
発言者
山田太一/岡室美奈子
雑誌名
美術手帖
発行日
2018年02月
ページ
12-17
備 考
‖山田太一[脚本家]‖
2.
記事種類
インタビュー
タイトル
山田太一、83歳「私はもう原稿が書けない。ドラマを観る気力すらない」 60歳過ぎてからも「老い」を感じたことはなかった。だが今年1月、脳出血に倒れ、こう考えた…
発言者
山田太一
雑誌名
週刊ポスト
発行日
2017年09月01日
ページ
62-64
備 考
‖山田太一[脚本家]病気‖
3.
記事種類
インタビュー
タイトル
このひとについての1万6000字 7回 山田太一 「深くあきらめた人の、なおあきらめない思い」
発言者
山田太一/重松清
雑誌名
エンタクシー
発行日
2013年11月
ページ
1-6/13-21
備 考
‖山田太一[脚本家]略歴‖
4.
記事種類
インタビュー
タイトル
脚本家・山田太一が語る「家族ドラマ」から見える風景 下 『岸辺のアルバム』に綴った「人間の無力さ」 「努力すればできる」は非現実的な考え ※戦争体験をもとにした『終りに見た街』ほか
発言者
山田太一
雑誌名
アサヒ芸能
発行日
2013年04月04日
ページ
84-87
備 考
‖山田太一[脚本家]連載‖
5.
記事種類
インタビュー
タイトル
脚本家・山田太一が語る「家族ドラマ」から見える風景 上 『ふぞろいの林檎たち』で描いた「戦後教育」への違和感 学歴がなくても堂々と生きる若者を描きたかった
発言者
山田太一
雑誌名
アサヒ芸能
発行日
2013年03月28日
ページ
64-67
備 考
‖山田太一[脚本家]連載‖
6.
記事種類
インタビュー
タイトル
山田太一 ロングインタビュー 『それぞれの秋』『岸辺のアルバム』 テレビドラマの古典を見る時代
発言者
山田太一
雑誌名
キネマ旬報
発行日
2012年12月01日
ページ
50-57
備 考
‖山田太一[脚本家]略歴‖
7.
記事種類
インタビュー
タイトル
人生に乾杯 56回 わずかな閃きを離さずにいると、思いがけない物語が浮かび上がる 大学で寺山修司に出会い、毎日のように語り合った。木下惠介監督と出会い、脚本家の能力を開花させた…
発言者
山田太一
雑誌名
週刊朝日
発行日
2012年11月30日
ページ
57-61
備 考
‖山田太一[脚本家]人脈、略歴‖
8.
記事種類
インタビュー
タイトル
山田太一 言葉とドラマの間で ※代表作、不思議なテレビドラマの制約があった70年代、テレビドラマと漫画、木下恵介がプロデュースしたテレビドラマ、ト書き、他
発言者
山田太一/和田彰二
雑誌名
中洲通信
発行日
2007年11月
ページ
8-17
備 考
‖山田太一[脚本家]‖


対談・座談 20件

1.
記事種類
対談
タイトル
阿木燿子の艶もたけなわ 73回 山田太一(脚本家) 「老い」も今はかなり“奥行きがある時代”になってきました ※恩師・木下惠介さんとのエピソードや各作品に込められた思いなど
発言者
山田太一/阿木燿子
雑誌名
サンデー毎日
発行日
2015年10月04日
ページ
46-50
備 考
‖山田太一[脚本家]人脈‖
2.
記事種類
対談/書評
タイトル
同時代を生きる巨匠たちが語る自分史 文章も絵も下手でいい、俺の記録だから×僕が書いた台詞以外は言ってほしくない ※山藤章二『自分史ときどき昭和史』×山田太一『日月の残像』
発言者
山藤章二/山田太一
雑誌名
週刊朝日
発行日
2014年05月16日
ページ
172-176
備 考
‖山田太一[脚本家]‖山藤章二[イラストレーター,漫画家,エッセイスト]‖
3.
記事種類
対談
タイトル
阿川佐和子のこの人に会いたい 978回 脚本家・作家 山田太一 当たり前のことを面白く描けるというのがテレビドラマの可能性なんじゃないか。
発言者
山田太一/阿川佐和子
雑誌名
週刊文春
発行日
2013年07月18日
ページ
122-126
備 考
‖山田太一[脚本家]略歴‖
4.
記事種類
対談
タイトル
向田邦子 単行本未収録対談 人気ドラマ作家ざっくばらん対談 山田太一×向田邦子 「僕はアドリブ禁止」「ワキ役に光を」 ※「東京新聞」1977年7月30日号より,山田太一後日談あり
発言者
山田太一/向田邦子
雑誌名
文藝別冊
発行日
2013年06月
ページ
97-100
備 考
‖向田邦子[作家,脚本家]‖山田太一[脚本家]‖
5.
記事種類
対談
タイトル
山田太一 山田太一・田原総一朗 テレビドラマは、歴史に残らない“普通のひと”の世界を切り拓いた
発言者
山田太一/田原総一朗
雑誌名
文藝別冊
発行日
2013年05月30日
ページ
28-40
備 考
‖田原総一朗[評論家]略歴‖山田太一[脚本家]‖
6.
記事種類
対談
タイトル
山田太一 山田太一・木皿泉 前の人がやったことを積み上げて、先に進む
発言者
山田太一/妻鹿年季子
雑誌名
文藝別冊
発行日
2013年05月30日
ページ
60-69
備 考
‖木皿泉[脚本家]‖山田太一[脚本家]‖
7.
記事種類
対談
タイトル
山田太一 対談 ドラマの真髄 倉本聰×山田太一 ※『婦人之友』2010年7月号より
発言者
倉本聰/山田太一
雑誌名
文藝別冊
発行日
2013年05月30日
ページ
102-108
備 考
‖倉本聰[脚本家]略歴‖山田太一[脚本家]‖
8.
記事種類
対談
タイトル
「ブッダ、聖書」のことば 超訳「運をつかむ」16の教え 玄侑宗久×山田太一 「無常なる自己」を生きる 特別対談・被災地の僧侶と名脚本家が「ポスト3・11」の心の復興を問う
発言者
玄侑宗久/山田太一
雑誌名
プレジデント
発行日
2011年12月05日
ページ
90-95
備 考
‖玄侑宗久[作家,僧侶]‖山田太一[脚本家]‖人生論
9.
記事種類
対談
タイトル
なつかしの鉄道 もう一度乗りたい 大人になっても鉄道少年
発言者
山田太一/川本三郎
雑誌名
東京人
発行日
2011年08月
ページ
18-23
備 考
‖川本三郎[文芸評論家]趣味、略歴‖山田太一[脚本家]趣味、略歴‖
10.
記事種類
対談
タイトル
奥田英朗vs山田太一 総ての人が〈人生の主役〉になれるわけではない ※山田太一脚本ドラマ・代表作年譜あり
発言者
奥田英朗/山田太一
雑誌名
文藝ポスト
発行日
2004年10月
ページ
8-25
備 考
‖奥田英朗[作家]略歴‖山田太一[脚本家]略歴‖
11.
記事種類
対談
タイトル
松竹創業100年記念特集 篠田正浩×山田太一 ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれた季節
発言者
篠田正浩/山田太一
雑誌名
キネマ旬報
発行日
1995年10月15日
ページ
110-115
備 考
‖篠田正浩[映画監督]‖山田太一[脚本家]‖
12.
記事種類
対談
タイトル
小沢健二/爆発する小沢のアムール グレイト・セッション ②蜃気楼のリアリティ
発言者
山田太一/小沢健二
雑誌名
月刊カドカワ
発行日
1995年02月
ページ
56-69
備 考
‖小沢健二[ミュージシャン,フリッパーズギター]‖山田太一[脚本家]‖
13.
記事種類
対談
タイトル
疎開少女がみた「少年時代」
発言者
岸田今日子/山田太一
雑誌名
婦人公論
発行日
1990年09月
ページ
224-231
備 考
‖岸田今日子[女優]略歴‖山田太一[脚本家]略歴‖
14.
記事種類
座談
タイトル
疎開世代からのメッセージ 「少年時代」を撮り終えて
発言者
篠田正浩/藤子不二雄A/山田太一
雑誌名
中央公論
発行日
1990年08月
ページ
262-269
備 考
‖篠田正浩[映画監督]‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]‖山田太一[脚本家]‖日本映画,「少年時代」
15.
記事種類
座談
タイトル
淋しくない人間なんて、いない。男の淋しさについて 早坂暁さん、山田太一さん、市川森一さん、淋しさの権威が酒を飲みながら一夜語りあったこと。
発言者
早坂暁/山田太一/市川森一
雑誌名
クロワッサン
発行日
1989年10月25日
ページ
74-81
備 考
‖市川森一[放送作家]‖早坂暁[脚本家]‖山田太一[脚本家]‖
16.
記事種類
対談
タイトル
’88年これからどうなる 近未来暮らしの予言 住井すゑ・山田太一 子どもたちの未来に残したいもの 生命を慈しむ心が時流に流されてしまわぬために
発言者
住井すゑ/山田太一
雑誌名
家庭画報
発行日
1988年01月
ページ
240-242
備 考
‖住井すゑ[作家,児童文学]‖山田太一[脚本家]‖
17.
記事種類
対談
タイトル
物語は時間を超えて
発言者
フィリパ・ピアス/山田太一
雑誌名
世界
発行日
1987年02月
ページ
207-221
備 考
‖フィリッパ・ピアス[児童文学]略歴‖山田太一[脚本家]略歴‖
18.目録
記事種類
対談
タイトル
結婚関係 楽しみの発見 不満なき結婚生活を求めて
発言者
橋田壽賀子/山田太一
雑誌名
婦人公論
発行日
1984年11月
ページ
98-105先頭頁のみ表記の場合あり
備 考
‖橋田壽賀子[脚本家]‖山田太一[脚本家]‖
19.
記事種類
対談
タイトル
家族の切れた絆 核心対談 石井ふく子vs山田太一 断絶家族にとって“愛”って何? いま家族にとって真に必要なものは? 茶の間で大受けのホームドラマの仕掛人2人が熱論!
発言者
石井ふく子/山田太一
雑誌名
新鮮
発行日
1979年09月
ページ
34-39
備 考
‖石井ふく子[テレビプロデューサー]‖山田太一[脚本家]‖
20.
記事種類
座談
タイトル
テレビ最前線シリーズ 56・最終回 脚本家が語るドラマ作りの苦心談 人気放送作家 書くことは、役者とつき合い、欠点を知ることから始まる
発言者
倉本聰/小松君郎/林秀彦/山田太一/加東康一
雑誌名
週刊平凡
発行日
1974年06月06日
ページ
64-69
備 考
‖倉本聰[脚本家]‖林秀彦[放送作家,脚本家]‖山田太一[脚本家]‖脚本家,シナリオ作家,シナリオライター,ライター,放送作家


本や映画関連 3件

1.
記事種類
タイトル
愉しい読書 山田太一が語る 我が人生の書棚 ※グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話 手記と追想』、『モンテーニュ エセー抄』、ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』
発言者
山田太一
雑誌名
SAPIO
発行日
2018年06月
ページ
72-73
備 考
‖山田太一[脚本家]‖
2.
記事種類
インタビュー
タイトル
山田太一 山田太一インタビュー 山田太一をつくった「知」 50年後も読み継がれるべき本、観られるべき映画
発言者
山田太一
雑誌名
文藝別冊
発行日
2013年05月30日
ページ
12-24
備 考
‖山田太一[脚本家]趣味‖
3.
記事種類
インタビュー
タイトル
黄金の読書 山田太一 どちらもとっても大切な「私の青春の20冊」「私の中年の20冊」
発言者
山田太一
雑誌名
ノーサイド
発行日
1994年12月
ページ
7-15
備 考
‖山田太一[脚本家]趣味、略歴‖


家族関連 9件

1.
記事種類
タイトル
月日の残像 32回 ビールの夜 ※58年前に1度だけ12歳年上の兄と2人で飲んだ日のこと
発言者
山田太一
雑誌名
考える人
発行日
2012年11月
ページ
124-127
備 考
‖山田太一[脚本家]家族、連載‖
2.
記事種類
タイトル
月日の残像 20回 忘れた自分 ※指圧師だった父のこと
発言者
山田太一
雑誌名
考える人
発行日
2009年11月
ページ
142-145
備 考
‖山田太一[脚本家]家族、連載‖
3.
記事種類
対談
タイトル
親子のカタチ 27回 『ふぞろいの林檎たち』の脚本家・山田太一と『101回目のプロポーズ』の演出家・宮本理江子。似ていないようで似ている2人の物語
発言者
山田太一/宮本理江子
雑誌名
週刊朝日
発行日
2006年12月22日
ページ
63-67
備 考
‖宮本理江子、石坂理江子[テレビディレクター]家族、略歴‖山田太一[脚本家]家族‖家族,スター,親子,連載
4.
記事種類
タイトル
月日の残像 8回 三男と五男 ※結核で死んだ2人の兄
発言者
山田太一
雑誌名
考える人
発行日
2006年11月
ページ
100-103
備 考
‖山田太一[脚本家]家族、連載‖
5.
記事種類
インタビュー
タイトル
「我が父」を語る 76回 父・山田逸三 息子・山田太一 苦難を生きた剛毅な父、不器用な息子
発言者
山田太一
雑誌名
婦人画報
発行日
2004年04月
ページ
350-353
備 考
‖山田太一[脚本家]家族、略歴‖
6.
記事種類
タイトル
「家」の履歴書 405回 母と兄の死、父と継母の諍い… 辛いことばかりだった湯河原の家
発言者
山田太一
雑誌名
週刊文春
発行日
2003年01月16日
ページ
70-73
備 考
‖山田太一[脚本家]家族、家‖
7.
記事種類
対談
タイトル
いたわりつ、支えつ、甘えつ 「夫婦物語」 山田太一・和子夫妻 昭和一ケタ、仕事人間の夫を支えてきた妻の“言っておきたいこと”
発言者
山田太一/山田和子
雑誌名
SOPHIA
発行日
1995年04月
ページ
265-269
備 考
‖山田太一[脚本家]家族、略歴‖
8.
記事種類
タイトル
父の詫び状 9回 父・山田太一 長男・拓郎 反省しない父?
発言者
石坂拓郎/山田太一
雑誌名
Emma
発行日
1985年11月10日
ページ
87
備 考
‖石坂拓郎[撮影監督]家族‖山田太一[脚本家]家族‖
9.
記事種類
グラビア/対談
タイトル
親子対談 37回 山田太一 石坂佐江子(青山学院高等部3年) 芸能界とはいっさい無縁だった山田家の生活。なにごとも勉強と、佐江子チャンがのり出して
発言者
山田太一/石坂佐江子
雑誌名
週刊宝石
発行日
1984年05月11日
ページ
233-235
備 考
‖木月さえこ、石坂佐江子[脚本家]家族、略歴‖山田太一[脚本家]家族、略歴‖

このページの先頭へ▲

公益財団法人 大宅壮一文庫

〒156-0056 東京都世田谷区八幡山3丁目10番20号
TEL:03-3303-2000