富川淳子さん講演会 「元雑誌編集長が語る 日本の女性の背中を押した『anan』」
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日時 |
2025年7月12日(土) 17:00~18:30 |
会場 |
大宅壮一文庫 2階閲覧室 |
定員 |
40名(先着順) |
参加費 |
1500円(当日来館時にお支払い) |
申込方法
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受付は終了しました
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元雑誌編集長 富川淳子さんプロフィール
富川淳子(とみかわ・あつこ)
大学卒業後、フリーライターを経て、1990年にマガジンハウス入社。
『BRUTUS』副編集長、『Hanako』編集長、『anan』編集長を歴任。
マガジンハウス退社後、ぴあ、エスクァイア マガジンジャパンにて勤務し、4誌の編集長を務める。
2010年4月から2024年3月まで、跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科教授。
現代ファッション・雑誌文化を専攻とする。
日本出版学会13代目会長。公益財団法人大宅壮一文庫理事。
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「1000冊のanan」講演会 「日本の女性の背中を押した『anan』」2025年7月12日(土)17:00~18:30 大宅壮一文庫2階閲覧室にて開催
雑誌文化の研究者であり、元雑誌編集長そして特に『anan』には様々な立場で16年携わられた富川淳子先生に「anan」についてご講演いただきました。前半は「anan」が生まれるまで、そして後半では「anan」の影響力についてお話しいただきました。
1時間半にわたる講演は参加された方より多くのご満足の声をいただき、富川先生の魅力的なお話は機会があればぜひご聴講いただきたいのですが、以下に要約を示します。
「1000冊のanan」講演会 「日本の女性の背中を押した『anan』」
2025年7月12日(土)17:00~18:30 大宅壮一文庫2階閲覧室にて開催
仏ELLE誌との提携で創刊されたananは、その判型や印刷法などが決まっており、そのための印刷機の導入や紙の規格などそれまでにない雑誌作りの手法やセンスが必要だった。
1970年にananが創刊されるまでは独身向けの女性誌は『若い女性』しかなく、婦人誌(主婦の友、主婦と生活、婦人倶楽部)と女性週刊誌(ヤングレディ、週刊女性、女性自身、女性セブン)、そして洋裁のための服飾誌(ドレスメーキング、装苑)といった雑誌が独身女性に読まれていた。
当時の日本は国際化、消費ブームそして家庭内の電化が加速され、女性を取り巻く環境(高学歴、OLの増加、結婚平均年齢の上昇、恋愛結婚の増加)も変化し、さらには既製服が普及していくことでそれまで女性向け雑誌に必須だった型紙のニーズは減っていった。ananは裁縫のための型紙をつけず、グラビア印刷によるカラーページの多用など、先行誌がない状況で若い独身女性のための独自の企画が生まれていった。読者カードの無いananは編集者独自のセンスで誌面作りを行っていた。
A4変形サイズの型紙がつかない女性誌であり、「アンノン族」を生み出すライバル誌である『non・no』をはじめ、JJ、JUNONなどが次々に創刊される中、婦人誌と女性週刊誌、服飾誌は部数を減らしていった。
ananの果たした役割は、性別役割分業意識にとらわれない、それまでの「当たり前」を当たり前としない特集(旅、SEX、仕事)を組むことにより、その特集が話題となり価値観のさらなる変化を促していった。
宿泊旅行の半分が職場や団体旅行だった時代に女性同士の旅をたびたび特集し、国鉄のディスカバージャパンキャンペーンにも大きな影響を与えた。若い世代の婚前交渉や同棲に対しての意識が変化していく中、それまで既婚者のための袋とじや夫婦生活相談という形でしか婦人誌に登場しなかった性の企画を、表紙全面にSEXという言葉を使うことで若い世代の後押しをした。ファッションビルの登場と地方への展開によりそれらショップ店員=ハウスマヌカンやファッション業界で働く女性を、男女雇用機会均等法よりも早い時期に専門職として注目して特集を組んでいた。またファッションビルの地方展開によりおしゃれな若者が全国的に増加した結果、「おしゃれスナップ」が誌面を飾りこの流れはやがて現在のSNS投稿につながっていくことになった。
1911年に平塚らいてうが創刊した『青鞜』以来、男マスコミは女が新しいことをすることを怖がり攻撃を続けてきた。ananが果たした役割はファッションやグルメ、インテリアといった女性の消費行動の肯定にあり、家事や花嫁修業という義務の領域にあったものをことごとくカジュアルな趣味や消費の対象に変えていった。それは男らしさとか女らしさではなく「自分らしく自由に生きる」ことを求め続けてきた結果であったといえる。
講演終了後の質疑応答では「現在のananの表紙は「自分」というより「自分の推し」が使われていると思うがこれをどう見ているか」「今の雑誌に求められているものは何か、またそれを読者に読ませるための工夫はどうすれば」「マガジンハウスで男性向けのおしゃれ雑誌が作られなかったのはなぜか」「特集テーマはどのようにして決められていたのか」などの質問に丁寧にお答えいただきました。また最後に大宅文庫の存在について、雑誌編集者としては「自分が手がけた雑誌が大切に保存されている場」研究者としては「貴重な調査資料をいつでも取り出せる場」であり是非未来へ継続してほしいというお言葉をいただきました。
富川先生、ならびにご参加の皆さまへこの場を借りてお礼を申し述べたいと存じます。ありがとうございました。