作品紹介「日本の遺書」

大宅壮一の小説『日本の遺書』を
まず読んでみることのすすめ

奥田 史郎(大宅壮一文庫理事・大宅壮一初代秘書)

 大宅壮一が1950(昭和25)年に発表した小説『日本の遺書』は、近衛文麿を主人公としている。映画『終戦のエンペラー』で中村雅俊が扮した役だが、1993(平成5)年に総理になった細川護熙氏の母方の祖父といえば、少しは近衛文麿を実感してもらえるだろうか?
 敗戦前の日本には各種の階級があり、庶民も履歴書に「士族」「平民」の別を書かされた。当時は女性に参政権はなく、議会は「衆議院」と「貴族院」があって、特に後者は旧公家や旧大名家の出身者(華族)で占められていた。さらに重要な国家の案件は「枢密院」や「元老・重臣会議」で決められた。
その貴族の間にも階級差があり、爵位は上から公・候・伯・子・男の順序で、公家の間にも平安時代以来の“昇任できる資格や位の差”によって、家柄に格付けがあった。たとえば近衛家は後陽成天皇の直系末裔で、五摂家(摂政・関白となる資格を有する五つの家)の筆頭——という名門貴族である。
 1891(明治24)年生まれの近衛文麿は若い頃から貴族院議員であったが、それまで大臣職の経験なしに、1937(昭和12)年から41(昭和16)年までの間に3度も首班指名を受けて組閣した。しかもその時期は日中戦争勃発から太平洋戦争開戦直前という、日本にとって歴史的な激変期であった。近衛内閣は戦争遂行のため国家総動員法を成立させ、大政翼賛運動を推進した。日中戦争が長引いて、公式・非公式に中国、米国、ソ連などと和平交渉を図るが外交交渉のまずさや軍部を統制できず失敗に終わっ た。敗戦後、占領軍(GHQ)からA級戦犯容疑者として出頭を命じられた近衛は、出頭日の早暁に服毒自殺した。

 この小説は4部仕立てになっている。まず、「序篇」は、敗戦後の近衛文麿周辺を描く。次の「青春篇」は、年号が大正になった年(1912年7月30日改元)の京都が舞台になる。学習院・一高から東大に進んだ近衛文麿は京大に転ずる。その学生生活や学友との交遊ぶりが京都の風景を背景に展開する。周囲の猛反対を押し切って妻:千代子と結婚するのも京大生のときで、夜の比叡山でのデイト場面も出てくる。「外国篇」は1919(大正8)年のヴェルサイユ講和会議(第1次世界大戦の戦後処理)に西園寺公望全権の随員として渡欧するという文麿を追う。神戸を出航、上海・インド洋・スエズ運河を経てマルセイユまで45日間の船旅、講和会議の様子、そしてパリで逢瀬を重ねるロシア娘との束の間の恋模様などもある。「政治篇」は、帰国後、貴族院改革を主張する文麿が自分の考えを実現しようと模索し少しずつ実行する様子と、そんな彼を利用しようと画策する連中の動き、また最後の元老=西園寺公望との駆け引きなどが、大正末から昭和初期への現代史とともに展開して、日本の運命は悲劇の滝壺に近づいていく。
 近衛には渡欧直前に発表した「英米本位の平和主義を排す」(『日本及日本人』1918年12月15日号)という論文がある。これは、大国(西欧先進国)に有利な現状維持を図る〈平和主義〉に対し〈日本の正当な生存権〉を主張し、〈持たざる国・日本〉の理論を打ち出したものであった。改革派貴族と評された近衛の理論も、〈持たざる国・日本の維新〉をめざす当時の青年将校や右翼の心情に近く、“現状維持”や“現状打破”は近衛内閣時代に一種の流行語同然に使われた。青年時代の志は、首相になっても変わらなかったといえよう。

 実年齢では、近衛が大宅より9歳ほど上だが、大宅は近衛文麿を同時代人として描いている。思えば、大宅壮一は最晩年に大作『炎は流れる』に着手したが未完に終わった。それは、明治と昭和に挟まれて損をしているような、でも正に大宅が生きて・見聞して・体験してきた“大正という時代”をまるごと描きたいというのが目的だった。その願いを先取りして試みたのが、小説『日本の遺書』ともいえよう。特に「青春篇」の、近衛の京大学生生活の様子は、大宅自身の三高生生活(大正時代)の体験が色濃く生かされている。大宅夫人の書いたものによると、この小説にとりかかる前、資料調べに約3ヵ月間ほど学生さながらノートと鞄持参で毎日国会図書館に通いつづけたので、その勤勉ぶりに驚いた、という。またその当時は、近衛を知る関係者も多数存命だったから、その人たちにも綿密な取材を重ねて、その成果も作品に精彩を添えている。
 この小説には明治以降の歴史に出てくる実在人物が数多く登場するし、重要事件もいろいろと出てくる。近衛をめぐる時代を描くからには避けられないことだが、これら人物や事件などに、大宅文庫で【用語解説】を加えたので、大いに利用してほしい。
 まあ、おいしい料理は解説よりもまず食べてみること。おもしろい小説も、まず読んでみるのが一番である。大宅壮一は、日頃、自分が論じる対象は「鮮魚でなく、かといって干物でもなく、まあ“一塩物”というところだな」と言っていたが、この小説の準備開始が、近衛が自殺して4年半しか経っていない頃というのも、決して偶然ではあるまい。

書誌情報

昭和25年 5月20日発行(1950)
著者 大宅壮一
発行者 二木英雄
発行所 ジープ社
印刷所 光正堂印刷株式会社
13cm×18cm(B5判)本文282頁

 近衛文麿(このえふみまろ)を主人公とした小説。高島屋出版部が発行していた雑誌『小説読物街』で「近衛をめぐる昭和秘史」と謳われて昭和24年12月号から昭和25年3月号まで連載され、昭和25年5月にジープ社から単行本として発行された。
 昭和35年には『大宅壮一選集(12)』、昭和57年には『大宅壮一全集(28)』に再録されている。また、昭和49年には角川書店から文庫版が出版されている。

作品を読む

―小説・近衛文麿をめぐる昭和秘史―

日本の遺書

 

大宅壮一

 「日本の遺書」は1950(昭和20)年の作品であり、現代から見て難読と思われる漢字や固有名詞、専門語・言いまわし等は現代で適当と思われるものに改めております。
※2013年10月1日現在、改訂作業中です。随時、追加・変更してまいります。また、「青春篇」以降も追って公開いたします。


 
目次
用語解説

※2013年10月1日現在、改訂作業中です。随時、追加・更新してまいります。

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