安孫子素雄(2022年4月22日)
「藤子不二雄A」こと安孫子素雄さんが4月7日に88歳で亡くなりました。今回は安孫子さん本人が発言している記事を中心に索引を20件紹介します。
富山県氷見市の曹洞宗の寺に生まれた安孫子さんと、後に「藤子不二雄」のコンビを組む藤本弘さんが出会ったのは、小学校5年生の教室でした。それからというもの四六時中一緒に漫画ばかり描いていたというエピソードは有名ですが、『週刊文春』2004年9月23日号の「家の履歴書」でもその頃のことが詳しく語られています。手塚治虫作品に夢中になった2人の絵は見分けがつかないほど似てきて、高校時代には描く漫画の全作品を合作に切り換えたということです。その後上京してトキワ荘の住人となった2人は、日本を代表する漫画家になりました。
大宅壮一文庫の索引に「藤子不二雄」の記事が初めて登場するのは1966年2月で、『オバケのQ太郎』が爆発的な人気となった頃のものです。『週刊大衆』1966年5月26日号の対談記事では、「藤本氏は理論肌。安孫子氏は野外型。その他もろもろで両極を示している。」と寺内大吉氏に評されています。
作風の違いから1987年に2人はコンビを解消し、そして1996年に藤本さんが他界。安孫子さんはその後も精力的に漫画を描き続け、メディアにもしばしば登場しました。『Cut』2010年5月号のインタビューでは、「人間が好きだっていうことが第一のテーマ。あらゆることをシニカルに見て、人間の惨めなこととか、嫌な面とか、そういうものを描くのが非常に好き」「藤本氏は絶対にそういう人間の嫌なところは描かない。夢をずーっと描き続けたわけで、これは素晴らしいことなんですよ」と、2人の違いを語っています。
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No1
記事種類 対談
タイトル “おばQ”は道徳的な劣等生
執筆者 藤子不二雄/寺内大吉
雑誌名
週刊大衆
発行日
1966年05月26日
ページ 67
備 考 ‖対談‖藤子不二雄[漫画家]‖
No2
記事種類
タイトル わが家の事件簿 Q太郎注射事件
執筆者 藤子不二雄
雑誌名
オール読物
発行日
1972年04月
ページ 183
備 考 ‖藤子不二雄[漫画家]‖
No3
記事種類
タイトル わたしの仕事と生活 スタジオ、スタッフ紹介
執筆者 藤子不二雄
雑誌名
潮
発行日
1977年06月
ページ 120-121
備 考 ‖藤子不二雄[漫画家]‖
No4
記事種類
タイトル 漫画家の梁山泊“トキワ荘”
執筆者 藤子不二雄
雑誌名
文藝春秋
発行日
1977年07月
ページ 360-365
備 考 ‖藤子不二雄[漫画家]‖
No5
記事種類 対談
タイトル トキワ荘での破天荒な生活がいまドラえもんの世界に
執筆者 大橋巨泉/藤子不二雄
雑誌名
主婦の友
発行日
1982年01月
ページ 188-192
備 考 ‖対談‖藤子不二雄[漫画家]‖
No6
記事種類
タイトル カルチャー・エッセイ 100回 童心の魅力
執筆者 藤子不二雄
雑誌名
週刊女性
発行日
1985年06月18日
ページ 75-78
備 考 ‖藤子不二雄[漫画家]‖
No7
記事種類 インタビュー
タイトル 鳩よ!インタビュー 「まんが道」は、藤子不二雄が青春をマンガで描いた“成長小説”
執筆者 藤子不二雄
雑誌名
鳩よ!
発行日
1987年07月
ページ 40-41
備 考 ‖インタビュー‖藤子不二雄[漫画家]‖
No8
記事種類 対談
タイトル 三枝のホンマでっか 54回 藤子不二雄Aさん コンビ解消も映画づくりも生来のアウトドア志向のせいかな
執筆者 藤子不二雄A/桂三枝
雑誌名
週刊読売
発行日
1990年07月22日
ページ 36-41
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]略歴‖
No9
記事種類
タイトル 私モノ語リ「マイ・ディア・3」 藤子不二雄A 手製の雑誌『少太陽』、手塚先生との記念写真、ディレクター・チェア
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
潮
発行日
1993年06月
ページ 316-317
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]趣味、略歴‖
No10
記事種類
タイトル 人物日本列島 581回 『笑ウ…』の犠牲者は僕の分身でもあるんです!
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
週刊宝石
発行日
1993年11月18日
ページ 92-95
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]略歴‖
No11
記事種類 対談
タイトル 阿川佐和子のこの人に会いたい 170回 長年の相棒が亡くなり眠れない毎日なんです
執筆者 藤子不二雄A/阿川佐和子
雑誌名
週刊文春
発行日
1996年10月31日
ページ 54-58
備 考 ‖阿川佐和子[エッセイスト,キャスター]連載‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]‖
No12
記事種類
タイトル 藤子・F・不二雄との50年 フジモトがいってしまった。きっと“どこでもドア”をあけて4次元世界へ遊びにいったのだ
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
中央公論
発行日
1996年12月
ページ 280-288
備 考 ‖藤子・F・不二雄[漫画家,藤本弘]人脈、訃報‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]人脈‖
No13
記事種類
タイトル 家の履歴書 487回 藤子不二雄A トキワ荘を出たあと建てた家も藤子・F・不二雄氏と隣同士。離れて住もうなんて思わなかった。 ※家族、トキワ荘の仲間
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
週刊文春
発行日
2004年09月23日
ページ 130-133
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]家族、人脈、家‖
No14
記事種類 インタビュー
タイトル 永遠の少年漫画家インタビュー 藤子不二雄A ※明日に延ばせることは今日やるな!コレが僕の座右の銘、仕事を離れていろんな人と遊ぶことは大事、他
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
BIG tomorrow
発行日
2008年07月
ページ 42-46
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]略歴‖
No15
記事種類 インタビュー
タイトル 藤子不二雄Aの主人公は深くて強い 最新ロング・インタビュー マンガっていうのはやっぱり人間を描かないと生きてこないというかね。だから、マンガってのは計算では描けないの。
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
Cut
発行日
2010年05月
ページ 34-41
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]‖
No16
記事種類 インタビュー
タイトル 自伝作『愛…しりそめし頃に…』が、ついに完結!漫画界のレジェンドが語る「まんが道」半生 藤子不二雄A 「仲間がいたから、僕は描けた」
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
ENTAME
発行日
2013年07月
ページ 52-54
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]略歴‖
No17
記事種類
タイトル 戦後70年「70人の証言」 昭和63年 突然切り出されたFとの別れ
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
文藝春秋
発行日
2015年01月
ページ 356-358
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]人脈‖
No18
記事種類 対談
タイトル 宮藤官九郎のART入門 絵、うまいですね。 5回 藤子不二雄A先生 漫画家 ※幅広いジャンルの作品を手がける理由やキャラクター作りの秘話
執筆者 藤子不二雄A/宮藤官九郎
雑誌名
CREA
発行日
2015年02月
ページ 174-176
備 考 ‖宮藤官九郎[シナリオライター,俳優,大人計画]連載‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]‖
No19
記事種類 インタビュー
タイトル 戦後70年 私の戦中戦後、私の原点 我が「まんが道」 寺のお坊ちゃんで、気弱な小学生が、転校先で一人の少年にめぐり合ったことで人生が大きく変わった
執筆者 藤子不二雄A
雑誌名
新潮45
発行日
2015年04月
ページ 84-92
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]略歴‖
No20
記事種類 対談
タイトル 寂聴「青空説法」 スペシャル対談 藤子不二雄A「本当は冨山にある寺の住職になるはずでした」 瀬戸内寂聴「どの家も立派で冨山っていいところね」
執筆者 藤子不二雄A/瀬戸内寂聴
雑誌名
女性自身
発行日
2020年12月15日
ページ 130-131
備 考 ‖藤子不二雄A、安孫子素雄[漫画家]家族‖